2月14日、バレンタインデー。
会社のデスクに座っていた相沢陸(あいざわ りく)は、一枚のメモに首をかしげた。
「19:00、屋上で待ってる。——ななまる」
「……ななまる?」
社内でそんな名前の人間を聞いたことがない。あだ名なのか、暗号なのか。
「バレンタインに屋上って、まさか……告白?」
もしそうなら、人生で初めてのドラマみたいな展開だ。だが、問題が一つある。
“ななまる”って、誰だ……?
相沢は一日中、社内の女性たちの顔を思い浮かべた。
後輩の鈴木?同期の真由?それとも、たまに話す受付の子?
いや、そもそも社外の知り合いの可能性も……。
「……行くしかないか」
相沢は、心臓をバクバクさせながら、屋上へ向かうことを決めた。
——果たして”ななまる”の正体とは?
19時ちょうど。
相沢陸は社屋の階段を上り、屋上の扉をゆっくりと開けた。
冷たい夜風が頬をかすめる。
辺りを見回すが、人影はない。
(……誰もいない?)
足元を見れば、そこにはコンビニの袋が置かれていた。
中を覗くと、小さなチョコレートと、一枚のメモが入っている。
「遅い。今日は寒いから帰る。チョコは置いておく。——ななまる」
「……え?」
相沢は、思わず声を漏らした。
どうやら相手は本当にここに来ていたらしい。
だが、なぜか帰ってしまった。
(いったい誰なんだ……?)
さらにメモの裏をめくると、そこには小さな文字でこう書かれていた。
「ヒント:私は毎日あなたを見ている」
「……毎日?」
社内でよく顔を合わせる人——それとも、もっと意外な人物?
ますます謎が深まるばかりだった。
——”ななまる”の正体とは?そして、なぜチョコを渡したのか?
翌朝、相沢陸は出社すると同時に、社内を見回した。
”ななまる”の正体を突き止めるためだ。
(「私は毎日あなたを見ている」ってことは……同じ部署の誰か? それとも受付?)
疑惑の目で周囲を観察していると、隣の席の篠宮七海(しのみや ななみ)が不思議そうにこちらを見つめていた。
「相沢くん、朝から何か探し物?」
「えっ!? あ、いや、別に……」
(七海……”なな”……いや、まさかな)
七海は経理部の先輩で、社内ではクールな仕事人として有名。
数年前から一緒に働いているが、特別仲が良いわけではない。
それに、七海がチョコをくれるなんて想像もつかない。
「……ねえ、相沢くん」
「はい?」
「昨日、屋上……行った?」
相沢は思わず息をのんだ。
「え……なんでそれを?」
七海は目を伏せると、小さくため息をついた。
「やっぱり気づいてなかったんだね」
「まさか……七海さんが”ななまる”?」
七海は頷くと、少し恥ずかしそうに視線をそらした。
「ほら、私の名前、”七”でしょ? だから、昔から”ななまる”ってあだ名なの」
相沢は衝撃を受けた。
まさか、ずっと近くにいた人が”ななまる”だったなんて——!
「でも、どうして俺に……?」
七海は少しだけ微笑み、意味深な言葉を残した。
「さあ……それは、自分で考えてみて?」
相沢の頭の中は、混乱と期待でいっぱいだった。
——七海はなぜ、自分にチョコを?
——これは単なる義理なのか、それとも……?
相沢陸は、デスクに座ったまま考え込んでいた。
七海さんが”ななまる”だった——そこまではわかった。
でも、どうして俺に?
単なる義理チョコなら、わざわざ匿名でメッセージなんて残さないはず。
……もしかして、本命?
頭の中で答えが出ないまま、お昼休みになった。
そんなとき、隣の席の七海が、そっと小さな紙袋を差し出してきた。
「これ、さっきのはちょっと特別だったから……こっちはちゃんとみんなに配ってるやつ」
相沢は袋を受け取った。中には、小さな個包装のチョコが入っている。
たしかに、同じものを他の同僚も受け取っている。
(……じゃあ、昨日のチョコはやっぱり特別だったってこと?)
七海は、相沢の様子をじっと見つめていた。
「そんなに考え込まなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「ヒント、もう一つあげる。……ホワイトデー、楽しみにしてる」
七海は、そう言うと、軽く微笑んで席を立った。
(え……? それって……)
相沢の心臓が、一気に跳ね上がる。
七海の気持ちは、もう答えを言っているようなものだった。
(……やばい、ホワイトデー、どうしよう!?)
突然、人生最大の一大イベントが降りかかってきた相沢は、ひとり、デスクで赤くなった。
——”ななまる”のチョコは、本命だった。
——次は、俺の番だ。
(完)

